2007/04/16

父は東大、俺はニュージーランド

俺の名はコー、ニュージーランドでは友達にそう呼ばれていた。俺の父は東大出の設計エンジニア。建設会社に入った。父の仕事で俺と姉は3歳から8歳までサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエイゴ、8歳から10歳は日本にいたが、11歳から14歳をマレーシアですごし俺は中2から高校受験にそなえて帰国した。

父が東大に入った理由は、俺のじいさんに対する強烈な意地という。父は極めてまじめで会社のために働いていた。父の学習力に俺はかなわないと思う。父は俺に学歴の面で何も強制はしなかった。普段は優しく俺たちに対して怒ることはなかった。ただし、アメリカ時代に俺と姉に勉強を教えるときは鬼だった。厳しく、妥協はなく、ひたすら勉強させられた。それはまあ当たり前と受け止めていた。

小学校と中学校で10回以上転校した俺は自分なりの友達の作り方と見抜き方を学習した。それが俺にとって学校社会で生き残ってゆくために必要だったからだ。学習力は父にはかなわなかったが、社会的動物という見地からは父には負けない。俺ははじめから転校生として皆と親しく寄り添いもしないし、自分の素性など決して話しはしない。クラスのやつにとってあまり興味のないことだということを学んだからだ。俺にとっては半年から1年の学校生活。黙ってじっくりと一人一人を人間として観察した。そして、短期間でも心を分かち合える友達をみきわめるのだ。

高校に入るまでにずいぶんと学校での人間関係には苦労もしたけど、複数の世界を見ることができた。父のおかげだ。

俺は日本の私立高校に入学した。進学校だった。入学式で居眠りしていた新入生を校長が壇上で怒鳴った。そんな学生は要らないという。なぜ要らないかは説明がなかった。そいつはほどなくして退学した。日本の高校は軍隊みたいだと感じた。 K

つづく