女優になることを目標にオーストラリアヘ (その2)
(休日には、オーストラリアの大自然を満喫。私にとってシドニーは第二のふるさととなっています)
「人と違ってあたりまえ」
個性的な人への儒見がない世界で学べた
私が通ったのは、The McDonald College of Performing Artsという高校です。ここでは、備見はなく、一人ひとりの生き方、考え方の違いを尊重してくれました。生徒全員が変わっているからなのかもしれませんが、「人と違ってあたりまえ。こういう考え方、生き方もある」と受け入れてもらえました。また、彼らは自主的に伸び伸びと勉強をします。私も自分のために自ら進んで勉強するというスタイルで学ぶことができました。そして、それが人から言われて勉強するよりも効果的だと実感しました。
ちなみに、私の高校では、ほかにはない授業システムが組まれていました。これは、-般的なオーストラリアの高校では2年かけて学ぶHSC(Higher school certificate)Primary Course とHSC Courseという2教科を1年間で終わらせるシステムです。勉強はハードでしたが、Performing Artsを学ぶ生徒に適したシステムになっています。
留学が教えてくれた自分らしい生き方。
夢と情熱をもてばきっと道は開けるはず!
留学して一番よかったと思えることは自分に自信がもてたこと。あの高校で生き残れたことは大きな自信につながりなりました。実践的な演技力、集中力、表現力が身についたのも大きな収穫です。また、留学は自分にしかない生き方を与えてくれました。そして人と人とのつながり、縁の大切さも教えてくれました。日本人であることを誇らしく思えるようにもなりました。
2005年には3回の舞台に出演でき、夢が現実のものとなりました。私は今、留学を通じて、夢と情熱だけでも道は開けることを実感しています。
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(パフオーミンクアーツを学ぶ生徒が集まる高校。個性生かなクラスメートに囲まれ、のびのびと自分を表現できました)
坂本さんの留学サクセスストーリー
2002年7月: 芸術学校に入学
寮生活がスタート。12月の夏休みには日本に一時帰国しました。寮生活もはじめは楽しかったです。悲しいときは誰かしら慰めてくれました。でもやっぱりさびしくて・・・・。食べることで寂しさを紛らわす日々を送り、4か月で10kgも太ってしまいました。
2003年3月、12月:日本に一時帰国
最初の帰国では、私の言動を見た弟が「お柿ちゃん、もう日本人じゃない」と言ったほどでしたが、このときは特別変わったこともなかったですね。もはや日本には遊びに行くといった感じで、自分の家、生きている場所はシドニーだと感じました。
2003年12月:アルバイトを始める
テイク・アウェイのお寿司屋さんでバイトをしました。バイト仲間とは学校の友だちとはひと味違った友人関係ができ、いい出会いの壕でもありました。お金のためではなく、経験のために働いたのがよかったのかもしれません。
2005年8月:家族がシドニーを訪問
感動の再会でした。約1年半ぶりでしたが、家族との距鞋はまったく感じませんでした。家族は私が成長したことに驚いていました。滞在中には、私が通訳とガイドを務めました。そんな私を、家族は違う世界に住む人、と思ったかもしれませんね。
2005年9月~11月:卒業&舞台出演
この年は3回の舞台に出演しました。初めての舞台では、日本舞踊を踊りました。印象的だったのは2回目の舞台。私は顔が半分焼け、口がきけなくなった女の子を演じました。彼女の日記を読むモノローグのシーンが、観客から絶賛されました。
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「不登校に悩んでいる人へ、坂本さんからアドバイス」
私を支えてくれたのは“夢”。
“夢”をもてば、強くなれる!
私は、小学3年生から学校に行かなくなりました。そんな私を支えてくれたのは、女優になるという夢です。未知の世界に足を踏み入れることは不安です。
それでも、やり遂げたい、挑戦したいという情熱があれば道は開けます。できないからやらないのではなく、できないからこそやるのです。この私にそれができたのだから、みなさんにもできるはずです。

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