大きな夢と志があれば、ウィーン少年合唱団に入団できるそしてメンバーとして世界公演ができる。13歳のKai SHIMADA 君が証明してくれましたね。 10歳から14歳の約100名のメンバーは全員アウガルテン宮殿で全寮制の生活をするウィーン少年合唱団 。音楽のボーディングスクールです。
さて、「アメリカから友人が来日し、原宿まできたので・・」かつて音楽留学をしたOGお大里さんが訪問してくれました。現在も国内外で音楽活動をされている彼女の、かつて当社の機関誌に寄稿していただいたレポートを紹介します。 EDICM
アメリカ音楽留学
自分のスタイルに誇りをもつ
大里 みどり
将来が見えない
日本で音楽大学を無事卒業、でも何が私にできるのだろう?先輩から、オーケストラなどの演奏の仕事をいただき、いざいってみる。周りの雰囲気になれない私は萎縮し、経験も少ないため自分の演奏にも自信がもてない。 そう頻繁に仕事は回ってこない。でも経験しないと上達はしない・・・若い人間に仕事は回ってこない。―――そんなディレンマに、2年間音楽の仕事に満足にできないまま、その現実につぶされそうになる。悩んでいたとき、ふらっと遊びにいった音大時代にお世話になった、職員の先生にアメリカ留学の話を聞かされたことがきっかけとなる。
留学を決意
幸いなことに、私は音大時代に、客員教授であった吹奏楽指導のアメリカ人の先生がいた。その先生は絶対の自信から来る、能力と経験に裏づけされた、指導力と独特のオーラがあった。 能率的で内容の濃い、限られた時間内や英単語におけるポイントを絞った指導法は、当時のほかの誰からも、いまだ受けることがなかった。限られた時間でも、最大限集中してやれば、こんなにもどんな難曲もこなすことができる、という可能性への自信を私たちに植え付けてくれた。やればできる!という前向きな姿勢を。その先生を追って一足先に留学していた音大時代の先輩がいたため、私もその人を頼りに、まずアメリカの音楽の勉強できる大学の実情を調査し始めたりした。慣れない英語で、大学の事務局にFaxをしたり、手紙を書いて学校案内を送っていただいたり、日本人で留学している方々に電話をしたり、実際アメリカに学校見学をしにいったりもした。
また、TOEFLをパスしていくことは、あちらに渡ってすぐに音楽の勉強を始めたい私にとっては、必須であった。
しかし思ったようになかなか点数は上がらない。あせるばかりの毎日。その間に家族が入院したりして、もはや留学は果たせないんだろうか・・・と言う不安の中、なんとか家族の理解を得て、いざ手続きのために、EDICMで本格的にお世話になることになる。
自分の夢を書いてみる
手続きの途中で、ビザ申請にむけて「なぜアメリカ留学が私に必要なのか」というエッセイを書くことがあった。「夢は大きく持ちましょうよ。たとえば、帰国したら 某N交響楽団のような立派なオーケストラで、アメリカで培ってきた経験と技術をいかんなく発揮し、一演奏家としても、日本の音楽界に貢献したい、と言うようにね・・」と、EDICMのスタッフに言われた。ーー正直いえば、そんな大それたことが私にできるわけがないと、その当時は思った。何の自信もなかった。もしかしたら日本の現実社会、惨めな私のその当時の状況から、逃避したかっただけなのかもしれないとも思っている。しかし、新しい活路への思いをエッセイにたくし、最長の5年間のビザが取れていざ出発!となった。1996年4月であった。
アメリカの音楽は違う!
その後、英語研修を8ヶ月受け、TOEFL のスコアを伸ばし、念願のインデイアナ州立大学のFull-TIME Studentになった。それからは、音楽三昧の日々であった。
まず私は演奏学科専科という立場であったので、演奏の授業を重点的に優先してとっていた。私にとってアメリカ留学の当初の目標、『経験と自信をつけること』のためには、これが一番と思ったからである。実際オーケストラや吹奏楽の合奏授業に参加してみると、ものすごい過密なスケジュールであった。リハーサルは一日平均してどのクラスも2時間程度、しかしそれを10回もしないうちに学内での演奏会をする。この計算でいくと、1ヶ月半で、演奏会を1回こなすということになる。自分のレッスン以外にももっと学べる場はたくさんあって、この学校で指導されている超一流の先生方(実際に入学してみて、わが校は全米でも屈指の高いレヴェルを持つ音楽学校だったということを実感)のレクチャー、実技指導公開レッスンや、その先生のリサイタルなど。
アメリカは"実力主義”、非常にシヴィアだと思ったのは、先生方が定期的にリサイタルを行うことは、一種先生方の実技定期試験のようなものだということ、楽器を指導するにあたって、弾けない人はとたんに人気と信頼がなくなる。目の前で理屈をこねるだけでなく実際に弾いて見せられる先生だけが、生徒の絶大な支持をうけるのである。人気のない先生は、遠慮なく学生からクレームが出て、学校からは首をきられる、というような・・。
過去の栄光だけでない、そこには等身大で指導し、影響しつづけてくれる先生であり芸術家がいる・・というのが、私のアメリカでの先生への印象である。
幸せな約3年間のインディアナでの生活にめどをつけたのには、担当教授の薦めもあった。
卒業後、音楽を演奏するにあたって、プロとしてもっと実践的な環境を得るために、フィラデルフィアへ移ったのは、そこにはすばらしい先生があり、オケがあるというため。私にとって、先生という存在は、きっと一生その音楽生活の中で必要な存在であると思っている。いくらプロになったからとはいえ、定期的にレッスンを訪れる、自分を客観的に見てくれる存在は必要と思っている。それは自分の能力やレベルを保つために、そういった緊張は必要だと感じるからである。その先生は、実は自分が中学生のときにあこがれて眺めていた、音楽室のオーケストラのポスターのなかの打楽器奏者の一人として写っていた。運命を感じた。
今までの、"学生"という身分から、"一社会人"という立場で、フィラデルフィアで仕事や勉強を続けた約1年半。途中、日本での仕事などで一時帰国した時期を差し引けば、実は1年程しかいれなかったが、そこでは、音楽家として活動している友人もできて、現実生活の厳しさや、好きなことを職業にする喜びや苦悩なども学ぶ。そして、今年の3月に、日本でのプロ・オーケストラで団員募集のオーディションが立て続いたので、それを受けるため、そしてこれからの活動の拠点を日本に移そうと決意したため、完全にアメリカより帰国した。留学前のあのエッセイにかいた「一流オケで演奏~」の夢は実現しつつあり、実はこの前その初舞台を踏み、スタートを切りました。
このオーディションがきっかけとなり、いま日本での演奏の仕事が徐々に入るようになり、日本での職業演奏家、自分の夢を実現すべくがんばっている。
アメリカへ行って変わったこと
まず変わったことは、経験と自信からくる音楽へのアプローチが積極的になった、ということ。以前は、出す音一つ一つにもそれがいい、正しいという何も確信がなく、不安のまま気持ちが消化不良を起こして、演奏すること自体が怖くなってしまっていたふしがある。
今は、「何が正しいとかという価値観ではなく、こうありたい、自分ならば、こう表現したい!」ということが自分で決められるようになった、ということだろうか。アプローチの仕方が変わったのだ。それはいろいろな経験から、多種多様の音楽表現を身につけたことで、使える表現が増え、また「何も方法や表現される音は1つ正しいものがある、ということではない」ということもわかったし、そう言いきれるような自信を持てるようになったから、気持ちが楽になったのだと思う。
それまでは、求められているのは実は1つではなかったのに、そうであろうと信じて、1つだけの答えを出そうと必死になって、そしてそれらの答えを見出す公式や具体的な方法も知らなかった・・・と、いう感じで、ただひたすら目の前にある難題を、解きたいけど成すすべもなく嘆くだけだった、という状況だろうか・・・。 今は何かに取組むときは、いろいろな可能性を駆使して、考えて行動できるようになったと思うし、それに対して他人がとやかく言うのではないか、ということを心配しすぎるよりも、むしろまず自分のスタイルも試してみよう、と思えるようになった。その上で他と共鳴・共感し変化したりすることもできるのではないかと、考えられるようになった。最初に、他人の反応ばかりを心配するよりも、まず自分はどうやってみたいのかという、方向性を打ち出し、提案できるようなスタイルになったように思う。このことは、実生活でも同じで、以前は自分の個性や意志よりも、周りがどうあるかということばかりを気にして、ただ流行になんとか外れない程度に・・・ということ、団体行動で、何とか事を起こさずに無難・中庸であるということばかりに、神経を使っていたような気がする。 もちろん協調性は社会のなかでは大事であるが、それはまず個があって、それで他の個たちと協調してゆくということの大事さではないか、と。
だから他人に不快感を与えない程度に清潔な身なりであれば、別に流行にとらわれなくてもいいし、自分にあった、好きな楽なスタイルを取ればいいのではないか、と思っているのだなと実感したとき、日本に帰って来て雑誌やTVのゴシップよりも、他の人の考え方や、生き方について書かれた文章やイベントに興味と時間を費やすようになったと思う。前向きな積極的な考え方の示されたものから、受けるパワーを有益と感じるからだ。
夢はでっかく
これから留学をなさるみなさん、夢と希望を大きくもって、きっかけはどうであれ、一度決めたら、とにかく全力で進んでいってみたらいいと思います。きっと道はおのずから開けてきます。いざはじめてみたら、もしかしたらはじめに自分の思い描いたような方向に、ことは進まなかったように感じるかもしれません、でも最大の努力をもって取組んだなら、最初の想像した結果とは形は違うかもしれないけど、それぞれにとって、最良の結果がもたらされるのだと信じています。だから、諦めずに!そしてその過程において、自身の成長が、きっと他へもいい影響を及ぼし、全体がいい方向へまわっていくのだと信じたいのです。
私のこの体験談が、みなさんのこれからに少しでもお役に立てたら、うれしいです。

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