父は東大、俺はニュージーランド - その2:軍隊のような学校?
軍隊?俺の言いたいことは、目的と手段のことだ。軍隊というと国家レベルの話になってしまう。もっと簡単に言うと、たとえば家に泥棒が入ってそれに気づいた家族の誰が泥棒と戦うかということだ。俺は小林秀雄みたいにカッと目を開いて泥棒をにらみつけてすくませるようなメンタリティーはない。父もないだろう、でも戦う。男が家族を守る、当たり前のことだ。それが国になったとして、守るためには力も必要だと思う。だから、軍隊をすべて否定する気にはなれない。その目的は国を守る、その手段として力がある。
俺の行った私立は学生の管理が軍隊的だと言ったが、俺にはその目的と手段がはっきりとしなかった。学校はその目的として世界に通用する人間を育てるとか、国際化社会に対応する知性と行動力などと言う。しかし、現実は生徒をテストでランク付けし、能力別にクラス編成する。スポーツにすぐれたやつはそれに専念させ勉強のことはうるさく言わない。勉強の出来るやつとスポーツの優れたやつを学校はたいへん優遇するように思った。それが国際人養成、それが社会に貢献する知性と行動力をつくることだろうか。俺には有名大学に入学できる学生を増やすことに思えた。
俺の友達は「はじけている」やつが多かった。みな個性的で好奇心にとみ、海外生活の長い俺が言うのも不思議かもしれないが義理や人情がわかる連中だった。あるとき、モーレツに頭の良い学生が雀荘で捕まった。普通なら即退学だが、彼はそうならなかった。海外でキッズ時代を過ごした俺は先生の言うことをそのまま信じたかった。自分の意見は堂々と言い、ディベートやディスカッションでお互い納得したかった。海外の学校では小学生でも先生と渡り合うやつがいて、先生も熱くなって語ったりした。俺は大人の社会を少しずつ感じ、それを「日本」として捉えるようになった。徐々に俺がかかわった社会としての学校の大人たちが作るルールになじめなくなっていった。同時に、帰国子女というレッテルを貼られ、色眼鏡で見られる事にも嫌気が指していった。
つづく
※ ニュージーランドの高校を卒業した「コー」君からのメッセージをシリーズでお伝えしています。ご意見などございましたら斉藤克明 katsu@edicm.jp までご連絡ください。
