2007/05/23

父は東大、俺はニュージーランド-
その4: 友達



俺の高校では、はじけている学生の数は多くはなかった。はじけ始めると学校を去ってゆくからだ。はじける理由は山ほどある。でもほとんどの学生ははじけずにじっと耐えている。耐えるという気持ちを持っているやつは幸せだと思う。忍耐こそ成功の素と父に教えられた。耐えることと同じと思うが、受験戦争をそのまま受け入れられるやつも幸せなやつだろう。迷いがないから。迷いのない人生が楽しいかそうでないかは個人が判断すれば良いことだ。俺自身はアメリカという異文化での学校社会から、多くを学んだので日本の学校文化をそのまま受け入れることは到底無理な話だった。耐えることや受験戦争を勝ち抜くということが俺の幸せかどうか、俺にはイメージはなかった。

俺の友達は個性的なやつが多い。個性的といえば聞こえがいいが、日本のハイスクール価値観で生きる人たちからみればわがままであり、勝手であり、扱いにくい人間たちだ。とにかく、彼らは自分の考えを主張するし、和をもって尊しとなすという協調性には乏しい。しかし、自分と考えや意見を同じくすれば賛同し、意見が違ったとしても根に持ったりはしない。考え方と人格を区別している。一言でいえば群れないのだ。だから個人を大切にする。お互いが持つ寂しさも理解する。そんな連中と良く遊んだ。楽しかった。学校になじめない俺にとって友達はいわば学校の代わりのようなものだ。助け合ったり、遊ぶ目的を共有したり、俺は友達からたくさん学んだ。学校で学んだもの?ほとんどない。膨大な知識は誰が教えたといわれそうだ。その知識という情報は本に書いてある。知っているか否かでどうして大人たちは人格すら決めたがるのか。
もうここまで来ると俺の高校生軌道は修正できないほどに不安定と言ってよかった。高校生一般の生活パターンである、塾、部活、自宅での勉強などは一切なかった。家は食事に帰るところくらいにしか思えず、友達とただただ遊び歩いた。これからどうなるのだろうとは考えなかった。幼少期にしみついた海外の習慣を盾に、俺は学校社会を拡大解釈して日本そのものを否定していた。  K