【OBOGシリーズ:異国での学びが与えた影響】 第8回:自分で切り開いたアイスホッケー留学 ~得られた技術を超える自己肯定感~
「留学」は人生の中で大きなアドベンチャーであり、日本では味わえない体験を通して、自分自身を深く見つめる絶好の機会です。留学中に気づく自身の変化、また留学を終え社会に出た時に「留学体験」が自分に何をもたらしたか?を実感する時が多々あります。
「異国で生活すること」「異国で学んだこと」が自分をどう変えたか?その後の人生にどう影響を与えているか?EDICMのOB/OGや知人が留学を振り返り、その体験が「現在の自分」をどう形作っているのか?
シリーズ第8回は、EDICMからカナダのボーディングスクール、King's-Edgehill Schoolに留学したK.S.さんをご紹介いたします。
アイスホッケー留学したいという強い思い
私は、5歳からアイスホッケーを始めました。たまたま近所にアイススケートリンクがあり、放課後に遊びに行く感覚でアイスホッケーに親しみましたが、U-18の日本代表候補にも選ばれ、自分の人生にとってアイスホッケーは切り離せない存在になりました。
中学時代まで充実した時間を過ごしていましたが、いつしか本場のカナダに留学して、アイスホッケーはもちろんのこと、学業を含めて様々なことに挑戦したい、という気持ちが湧き、世界への興味が強くなりました。しかし、当時は費用面をはじめ、色々な面で家族に応援してもらえるかどうか判らなかったこともあり、最終的に留学ができるようになった時はとても嬉しかったことを今も覚えています。
カナダで経験した言語と人種の壁を乗り越えて
ホッケーでチャンピオンになった時のチーム写真
高校2年生から留学することにし、それからは留学に向けて気持ちの面を含め、準備を進めていきました。そして、高校2年生の時に、カナダのKing’s-Edgehill School (KES)というアイスホッケーが強いボーディングスクールに向けて出発しました。カナダ人はホッケーが上手いうえに、私には言語のハンディーキャップもあり、最初はチームに馴染むのがとても難しかったです。そして、人種差別もありました。アイスホッケーは白人のスポーツで、対戦したチームからも差別を受けたことがあります。
当時、学校があるノバ・スコシア州の高校でアイスホッケーをしていたアジア人は私だけだったと思います。コーチのMr. Chris Strickeyも話すスピードがすごく速く、とても厳しい人でした。
英語力が無かった為、勉強にも苦労しました。当時、学校には日本人学生が私を含め3人いましたが、先輩2人がとても勤勉な学生で「授業中に判らないことがあったら、授業後に先生に聞きに行く」という姿勢を見ていたので、自分もそれが当たり前だと思い真似しているうちに、授業についていけるようになりましたし、英語もかなり上達しました。
アイスホッケーで実力発揮!
この学校では、先生方が小さな寮を兼ねている、スペースのある自宅に住んでいて、2階は先生の家族の居住スペース、1階に学生6人が住めるようになっていました。アイスホッケーのコーチだったMr. StrickeyのStrickey Houseには、チームで選ばれた6人が住めるのですが、幸運にも留学2年目にこの6人のうちの1人に選ばれて、2年目はStrickey Houseに住んだことが、留学生活のターニングポイントになったと思います。
コーチの奥さんは、学校の歴史の先生だったのですが、とても優しい方で、話すスピードもこちらに合わせてくれて、ハウス内でのコミュニケーションがとてもスムーズになりました。奥さんが何かとフォローして助けてくれたおかげで、コーチとの関係も良くなりました。そして、1年目は補欠だったのですが、2年目はレギュラーとしてプレーすることができました。卒業してから20年以上経ちますが、今でもStrickey夫妻とは連絡を取り合っています。
カナダのホッケーは、チームワークの動き方が完璧に確立されており、私には全く追いつけるレベルではなかったのですが、自分にはスピードがあったため、その特徴をコーチも認め、動き方を明確に指示してくれたことで、チームメートも自分のプレーを認めてくれて自然と差別は無くなっていきました。
日本での新たな挑戦
KESを卒業して、アイスホッケーの強豪校でインカレの優勝実績もある中央大学に進学しました。アイスホッケーは2年間プレーしましたが、手首を怪我したこともあり、復帰できるタイミングを考えるともう大学ホッケーは充分やりきったと思い、一旦競技から離れ、3年生からは主務を務める傍ら、インターンシップを経験したり、ビジネスコンテストに参加したりしました。
留学前は、物事を慎重に進めるタイプでしたが、カナダでは、みんなが「これをやりたい」と主張して、自分のやりたいことを選択するのが当たり前だったため、私も自分がやりたいことを考えたり、自分で選択できるようになったのだと思います。カナダの学校で、履修科目を全て自分で決められることに衝撃を受けたことが、懐かしく思い出されます。チャレンジすることがポジティブに受け入れられ、評価されるという環境に感化されました。
そして、大学卒業後は、孫社長の「社会を良くしたい」という熱意にひかれて、ソフトバンクに入社しました。「ソフトバンクアカデミア」にも入ることができ、孫社長から直接学べたのは本当に幸運だったと思います。ソフトバンクで会社のビジョン・新事業を考える社内コンテストで入賞し、それを自分のビジネスとして始めました。2012年に動画マーケティングの会社を創業し、2023年に後任の代表に会社のバトンを渡し、40歳になった私は家業である食肉卸売業(名古屋)を事業承継しました。
高校時代に留学しチャンレンジした経験が、その後社会人になり動画マーケティングの会社を創業し、渋谷のスタートアップでチャレンジできたことに繋がっていると感じています。一方、自分を育ててくれた両親と共に仕事ができる”今“にもかけがえのない幸せを感じています。自分の価値観に気付けるようになったのは、カナダで過ごした時間や色んな人の価値観に触れ合ったこと、様々なことにチャレンジしてきたからこそ、と振り返る自分がいます。
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